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  • Keiko

ディープ・デモクラシー

久しぶりのブログアップになってしまいました。

お盆休みだった方も多かったのではないでしょうか。

我が家のお盆休みは家族4世代が集まり、私は4か月のベビー(孫2)をにんまりと眺め、4歳の小さなレディ(孫1)と真剣に遊び、たくさんの料理を作り、忙しく過ごしていました。

思えばぜんぜん休みじゃなかったなあ・・・。(笑)


嵐のようなお盆が過ぎ去り、今は静かな学びの時間が戻っています。

先日もFacebookで上げたのですが、今年はORSC(システムコーチング)を学んでいます。

組織で起きていることをどのように見える化するのか。

当事者を含めた対話をどのようにファシリテートするのか。


これから立ち上げる組織や、よほど人間関係が上手くいっている組織でない限り(つまり葛藤がない組織でなければ)、コーチとしてその組織(=システム)にかかわる場合、ほぼ間違いなくガチ対話の場を生み出す事を避けられないと感じています。

みんなが恐れているもの、気づいているけど見ないふりをしている事を場に出して、善悪の判断をする代わりに本音の対話をする。


それ自体がひどく恐ろしいと感じてしまって、プロであってもそこに踏み込む勇気がなかなか持てないのではないかと想像してしまいます。

そしてそれは人として普通の事のようにも感じます。


体験学習で3日間学ぶコースを基礎~応用まで計5回にわたって受けるのですが、実際に体験してみる事でファシリテーターとしてのスキルのみならず、参加しているいろんな立場の当事者の気持ちや痛み、恐れなどを体感することを繰り返します。


実際に対立を生み出しているマイノリティのグループのロール(役割)を体験してみると、孤独感や無言の態度や雰囲気から感じられる痛み、疎外感、どうせ私の声は聴いてもらえないという絶望を実感して、いかに主流派(大勢派)の無意識の権力の乱用が少数派を抑圧しているかを知ることができました。


こうした体験をしていながら、なかなか言葉にできなかったのは、全体像がよく見えていなかったためで、そのせいで、私の中に「大切なことを学んでいるはずなのに、これは大局で見たときに何が起きているんだろう」というモヤモヤ感がずっとありました。

ORSCでは、さまざまな理論をベースにプログラムが設計されていますが、今、全体のどこなのか、何を学んでいるのかちゃんと理解できていない状態ではもったいない!


という事で、中でも大きな位置を占めると思われるアーノルド ミンデル博士の書籍を急遽まとめ買いして、読み始めています。もちろん、ORSCのベースになっているのはミンデル博士の理論だけではないのですが、しかしこれを理解できたらだいぶ”腑に落ちレベル”も上がりそうです。中には絶版になっている「ディープ・デモクラシー」という本もあるのですが、これがもう目からうろこ落ちまくりです。久々にむさぼり読むという体験をしています。


組織変革者としての葛藤を考えるとき、一つには「個人としてはとても模範的で自分の価値観をしっかり持っているメンバーが、この組織の一部となった途端にその力を発揮する事ができなかったり、まったく逆の印象を与える言動をする(あるいはしない)のはなぜだろう?」という獏としたつかみどころのない「問題」に出会った時の無力感を忘れられません。


つい、「意識啓発をする側」としては”変わる”ことを求めてしまいがちです。

なぜなら、それが組織としての成長であり、人が成長することで組織が成長できるのだ。だからまず人が変わるべきなのだ。というロジックであり、思いです。しかも組織はいつでも急いでいます。早急に変わってもらわなければ困るのです。


しかし、ミンデル博士は言っています。「他人に平等や自覚を促そうとすることでさえ、脅威を与えることがある。しばしば、そうした善意のある「意識啓発」グループは、いかに自分たちが他の人たちに圧力を与えているかという事に気づかない。自分の持っている力や、それを自分がどのように使っているかという事を自覚しないとき、だれもが知らず知らずの内に他人をいともたやすく傷つけてしまう。注意深くなければ、「意識啓発」の試み自体が、私たちの是正したい虐待的な行為を単純に繰り返す事になりうるのだ」「自覚と気づき(アウェアネス)のない民主主義は独裁政治になる場合がある。気づきのない民主主義は、世界の諸問題を解決できないどころか増大させてしまう」と。


ディープ・デモクラシー(深層民主主義)は、みんなが主体的に外側の現実的な問題に取り組み、同時にもっと微細な感情や夢にも取り組むべきだと説きます。

すべての人のあらゆる「感情」に耳を傾けるべきであり、人々、ロール(役割)感情の多様性に気づき、気づいた事を歓迎すること。ディープデモクラシーとは新しい自覚/気づきの手続きであり、個人の多様性(ダイバーシティ)を尊重し、今変化しつつある意識状態に気づきを向ける事なのです。


なんだか「???」が増えてきました。笑

ここでミンデル博士の教えを長々と書き連ねる事はしませんが、今覚えておきたいこととして


私たちが

・コミュニティにおけるロール=少数派、被害者、メンバー(参加者)、ファシリテーター(権力者)、教師、親、有色人種などなど。。

・ゴースト=話題に上っているがその場にはおらず、直接表現されていない第3者(死者、創設者、時代の声などなど。。。

・自分のシグナル

・他人のシグナル

を無視するたび、私たちみんなで恐ろしい世界を作り上げ、自分たちの組織を破壊している

という事をミンデル博士は言っています。


他に、私たちは個人と彼/彼女が担っている役割を同一視したがるがそうではない。自分の外側にいる人物やグループが「悪」なわけではなく、「悪い人物」とは一時的で変化する傾向性を秘めている”役割”に過ぎない。今日はあなたが悪い人物だが、明日は私が悪い人物かもしれないのです。


書籍:ディープ・デモクラシーの中ではオープンフォーラムの準備から完了までを通して、ファシリテーターの在り方や対処の細かい方法について述べられています。

最後に、備忘録として過去に組織変革者という役割に私がいたときに覚えた葛藤に大きなヒントをくれた文章を書いておく事にします。


「参加者の多くは、自分たちの主張を記憶にとどめてもらうために、熱を上げておかなければならないと信じている。たとえば、非主流派グループは、少数派の問題に対する自覚を高めてもらうために、主流派に不快な思いをさせようとすることが多い。社会活動家の多くは、権力や特権を持つ人たちを「窮地」に追い込まない限り、自分たちの主張が無視され続けることを知っている。必然的に、特権を持つ人たちは、不正に対する非難や特権を持たない人たちの要求に耳を傾けてほしいという提案から逃げ出すことになる。

 社会的な権力を持つロールにいるすべての人は、少なくとも一度や二度は、無自覚な特権の乱用について責められる事になる。それは必ず起きる事だ。ある意味で、違いを吟味することが、民主主義や心理学のすべてなのだろう。すると何が起きるだろうか?たいてい最初は特権を持つ人たちが責められる事から逃げ出し、ほっと一息つける空間を探そうとする。しかしながら、特権を持つ人たちは自分たちの立場から本当に逃げ出す事はできない。なぜなら、好もうと好まざると、そうした人たちは組織の「日常的意識」すなわち組織のアイデンティティや中心となるロールの中にいるからだ。それはちょうど活動家たちが、理解を求めて戦う「周縁化された意識」というロールの中にいるのと同じである。

 このコミュニティ意識における二つの立場― 主要なアイデンティティと周縁化された部分 ―の運命的な対決は、典型的には、やがて行き詰まり、葛藤を克服して、ある程度の包括性へと向かっていく。力を持つ人たちは自分たちの力にしがみついて集まりを避ける。い峰、力を持たない人たちはいわば広報から力をかき集めようとする。力を持たない人たちは問題を押し付けることをたくらみ、イライラし、怒り、面倒な存在になりそして最終的に、共謀になり、恐れさせるようになる。状況やグループによっては、組織が非常に不安定になr、崩壊してしまう。あるいは混沌から自分たちを再創造する場合もあるだろう。

 ファシリテーターは、自分の内面で組織の葛藤についてワークしておくべきだ。そうすると、あなたはグループの助けになりやすくなる。明らかに、ファシリテーションにはファシリテーションのスキル以上のものが要求される。ファシリテーションには自分の中心軸がぶれない事が必要となる—すなわち、コミュニティの多様な諸雨紛bが自分自身の多様な諸部分でもあり、それらが理解、尊重、自由を求めていることを理解するために、インナーワークが必要なのだ。」


学びは続く。


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