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  • Keiko

ドリーミング

子供のころからずっと、日々自分の身に起きる出来事の「意味」を知りたいと願ってきた。

あの人からこんなことを言われたけど、どういう事?

あの子の態度には一体どんな意味があったんだろう?


出来事の中に登場する当事者たちのドラマを知れば、何が自分にとっての正解だったのか、この先どうすればいいのかが解るはずだと、おぼろげに考えていた。いや、考えてたというより、感じていたというのがぴったりかも。

同時に思考はずっと、「なんで?」をぐるぐるとまわり続けていた。

その根っこには「どうしたら良かった?」「どうすればいいの?」があり、それは意識的にも無意識のレベルでも、自分じゃない誰かが満足してくれる事や、自分の存在や努力を認知してくれる事を目的に置いた問いだった。


多くの人が通る道だと今は信じているけれど、当時は他者からどう見られるか=どう評価されるかが私の人生を左右する「すべて」だった。


私の父は、「子供は厳しく育てないと」と言い続けた人だった。おそらく、3人の子供たちが独立し弟に扶養される立場となった今でもその考えは変わっていないと思う。その父と、明るい母のもとに、私は長女として生まれた。文字通り「厳しく」育てられた私は、父が「あの子はいい子だ」という友人と遊び、中学生になっても父が決めた就寝時間を守って夜9時には眠り、社会人になっても20時の門限を守って帰宅した。しかし、どんなに父の言いつけを守って『良い娘』をやっても褒められる事はなかった。


父は家庭の中で「支配者」であり、私は「出来の悪い娘」だったし、私以外の家族も、始終父の言語・非言語による否定を浴び続け、そしていつしかそれを受け入れた事で「自分は何もできない、価値のない人間だ」と本来人間として持って生まれた力や夢を見る権利までも放棄してしまっていた。

人は自分で考えた事や行動したことを、表面的に見える事実だけをとらえてダメ出しをされ続けると、やがて考える事をやめてしまう。

「どうせ否定されるんだから」と、『正解をください』とばかりに”誰か”が口にする「普通はこうでしょ」とか「こうなるのが当然だ」とか、「そんなの常識」とかいう”答え”を待つようになる。

自分がどうしたいのか?自分にとっては何が大切で、だからこうするのが自然だと思うとか、そもそも自分は何が好きなのか?とか20代くらいまでは”本当の自分の願い”のようなものを振り返ってみる事も、感じる事もできなかった。

なんなら自分にはそんなこと考える価値もないとすら感じていた。

今の自分から見れば、黒い魔法にかかっていたあの頃の自分。

自分の『力』を信じる事ができないと、環境が変わる事で自分の在り方も変わってしまう。

自分の軸がないからだ。

彼氏・彼女・友人が変わると自分も変わる。会社・上司が変わると自分も変わる。

常に受動的で、「自分が他者に影響を与えるなんて、ありえない(無理)、おこがましい、そんなそんな…!」どこまでも自分を下げて、”誰か”や”何か”に<属する>事で生きる道を模索する。”誰か”や”何か”に嫌われないか、どう思われるかですべてを決める。

それが他人軸で生きるっていう事。


それはある意味、自分の人生に対して自分で責任を負わないという言い方もできるかもしれない。”誰か”に決めてもらっているから、「自分ではどうしようもない」と責任を放棄し、”誰か”のせいにしている。でも”誰か”や”何か”が私の人生がコケたからといって責任とってくれるはずもない。


コーチングに出会って、初めて「あなたはどうなりたいの?」という問いに真剣に向き合った。そうすることで、結果的に「自分」に出会う事ができた。

何度も何度も、この問いを自分に投げた。何も決まらない会議に虚しさを感じている時、矛盾する主張を繰り返し、感情を高ぶらせている人を見ている時、朝の通勤電車の中、犬と遊んでいる時、どうなりたいの?と問いかけた先に、自分が今感じている(けどそれが当たり前だと思い込もうとしてた)違和感が浮かびあがるように現れ、「何を選ぶの?」と問われた気がした。


これはドリーミングレベルの話だ。

アーノルドミンデルが生み出した3つの現実モデル。


合意的現実レベルは目に見える確固たる世界・・・「会社に行く」、「売り上げ(目標/成績)」や「予算」、「誰が誰に何をした」とか「何て言ったか」とか。「これは椅子です」なんていうのも合意的現実レベル。ビデオで撮影したら映っている世界。全体が、こういうものだと合意している現実。

ドリーミングレベルは目に見えない、言葉になりかけている世界・・・感情や信念、価値観、願いや夢、期待、予想などなど。言葉として口に出していなくても心(意識)の中にあるもの。

会議に出席している私(合意的現実レベル)は全くこの会議に期待をしていないので他の仕事をしたい(ドリーミングレベル)。

父は「子供は厳しく育てなければならない」というドリーミングを持っている。

エッセンスレベルは言葉になる前の世界・・・モヤモヤ、衝動、「!!」「なんかわかんないんだけど、ん~~っ!なんかさ~!」みたいな。


これまでの社会の在り方はこの合意的現実レベルだけにフォーカスしてきた。根拠を示せ、結果がすべてだという言葉がこれを表していると思う。

でもこれだけをやりすぎると、システムは疲弊して、渇き、ささくれ立って、すり減ってしまう。

しかしそんな状態であっても、ドリーミング、エッセンスレベルを語り合うと組織/システムの関係性は潤いを取り戻す。


ドリーミングとかエッセンスとかっていう言葉は使っていないけれど、ドリーミングレベルと合意的現実レベルの違いを感覚的に感じられる、こちらのCotree CEOの櫻本真理さんのnote.が秀逸なのでお勧め。


「奇跡~を~のーぞーむーなら~ 泣いてばかりいないで~ 幸せには~ふさわしぃ~ 笑顔があ~る~はず~♪」とJuJuの歌声が沁みる。

みんな自分を信じてみてほしい。


黒い魔法にかかっているなと気づいている人、自分のドリーミングに向き合ってみたい人、違和感があるけど認めたくない人はコーチングを受けてみる事をお勧めする。

今なら待たずにスタートできます。



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