沢山のお誕生日のお祝いメッセージをいただきありがとうございます。
毎年「あと何回桜が見られるかしらねー」と夫に言う度に笑われるのですが、
「永遠に生きるかのように学びなさい。明日死ぬかのように生きなさい。」
というガンジーの言葉が好きです。
人生で何度も「もうだめかもしれない」という危機をくぐりぬけてきたので、ふつうに目が覚めて今日も誰かと笑いあい、愛されていると感じる事の喜びをかみしめています。
対話について考えています。
数年前から「対話」という言葉に触れる事が増えてきました。
そもそも対話ってどういうこと?普通の会話と何が違うの?
「対」という字が入っているって事は2人でする話?
腹を割って言いにくい事もガンガン言い合う本音トーク?
それって、なんか怖い。 それなら覚悟が必要だよね。
もはや血みどろ、決裂覚悟の喧嘩するくらいの・・・。
少し前までの(企業に勤めていたころの)私の「対話」に対するイメージはこんな感じでした。
でもコーチングやワークショップデザインを学ぶ中で気づいた事は、対話とは勝ち負けではない、正しいか誤りかもない、ということ。
「私にはこう見えます」
「あなたの立っている場所(立場や境遇)から見るとそんな風に見えるんですね」
互いが見ている景色を伝え合い、それを材料としてそれぞれの大切な事を大切にしながら互いを知りあう。必要なら、とりあえずのゴールを互いが納得できる形で決めてみる。
あなたの中に大切なものがあるように、私の中にも大切なものがあります。
それを差し出し、相手の大切なものも受け取る。 そんなインパクトです。
相手を大切にするためには自分も大切にしなければ、どちらかの犠牲の上に成り立つ関係は、やがて崩れてしまうでしょう。
無自覚に反応しがちな私たちは、そもそも自分の反応が誰かや何かに犠牲を強いているかもしれないとすら気づかずにいる事が多いように思います。
対話とは相互理解と共感によって、立場の違う人達の間に橋を架けるようなもの。
今ちょうど割れたり欠けた器を修理しているのですが、作業しながら「関係性も修復できるんだよねー」とぼんやり考えている自分に気づきます。
関係性を器だとするなら「器が割れた、欠けたのはあなたのせい」と互いに責め合っていては割れたまま、欠けたままです。私はずっと、いろんな人との器を割ってしまったまま諦めたり、飽きると手放したりしてきたように思います。
それを「相性が悪かった」とか、「運命の人じゃなかった」とかいう言葉で片付け、特段修復する努力はしませんでした。
今どんな状況なの?とか、何を感じてるの?とか聴くだけでも、対話だと思います。
表面的な出来事だけじゃなく、そこにある感情も聴きあい、伝え合う事が大切なのだと思います。解決したり、アドバイスしなくて良いです。聴いてもらった、と感じるだけで、関係性は変わっていきます。
人は一瞬たりともとどまっていないので、実は関係性も刻々と形を変えています。
それに気づかないと、「前は〇〇だったのに」と足りないところに目が行っちゃうんですよね。私はそうなったとき、自分の感情をちゃんと伝える事をしてこなかったんです。
ネガティブな感情は言葉にして吐き出さないと心の内で増幅されて不安を掻き立て、更にネガティブな感情が上塗りされてしまう。そのループにはまると、証拠集めが始まり・・・。
人は変わるものなんだ、人が変われば関係性も変わっていくものなんだ、と分かっていれば、あとはそれをその時に必要な形に変えていく事を学ぶだけです。
「『私』はこう感じたからもう終わりだね」じゃなくて、もう一段高い所から
「『私たち』はどうなりたいの?そのために何ができるのかな?」という話ができたら、一緒に関係性を創っていけると思うのです。
ヒビや欠けが小さいほど、修復に必要な労力は小さくて済みます。
小さな違和感に気づいたら、「大した事じゃないから」としまい込まずに、その感情が新鮮な内に伝えてほしいのです。そうやって、一大決心が必要な『大イベント』になる前に
『小さな対話』を繰り返す事で、「優しい社会」が創られていく事を願っています。
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