今年に入ってから、特に2月以降の自分の内側に起きている変化が、著しく自分のあり方を変えている。
何が起きているのか、自分でもすべてを把握できているわけではないけれど、備忘録的に書いてみようと思う。すべては主観的で何の根拠もデータもないけれど、自分だけが感じて分かっていればいい事なので、素直に書いてみたい。
この変化がどう見えるか、自分の中に意識を向けてみると・・・あたかも小川のよどみに浮かんでいた木の葉が、突如として流れに乗り、いろんな川と合流していろんな魚と出会って、どんどん大きな流れに乗っていくような、海に向かっている感覚がある。
それは、今まで観客だった自分がが突如として何かに突き動かされ舞台に躍り出たような、そして舞台上で表現することに自分を明け渡しているような、湧き出てくるエネルギーをただただ開放しているような感覚でもある。
これまでの自分と一番違うのは、恐れや不安が劇的に減った事。
自分を止めていた自分が今はもういない。
「そっちは危ないよ」「誰かに批判されるかもしれないよ」「こんな不完全なもの出していいの?」と、事あるごとに自分を批判して、「攻撃されないように」と自分の力を小さく小さくしてきた自分。
今は、そんな「小さくなりたい自分」を「本来の自分」が『大丈夫だよ』と抱きしめて安心させている。
そうだ、「そんな自分はダメだ」と否定しているんじゃなくて、「小さくなりたい自分」を含んで拡大していく感じなんだ。と書きながら気づく。そして拡大した自分は自分だけの基準で評価・判断をしていない。
でもこの突然の変化は何によって引き起こされたんだろう?
トリガーは一つじゃない気がする。
ここまでの道のりで会社を辞めたこと、学びを続けたこと、人とつながりたくてうまくつながれなかった経験など、恐る恐る自分から手を伸ばして得た体験が地層のように自分を形作り始めた事も一つ。
この道のりのスタートの時の自分は「過去」にとらわれていた。父との関係(トラウマ)、前夫との関係(トラウマ)、会社の人間関係(トラウマ)。あれ?全部トラウマだ(笑)
思考はすぐに「あの時こうされた」「あの時こんなに痛かった」「あの時・・・」思い出して反芻してまた傷つく。繰り返すごとに痛みは濃縮されていく。更に「どうして自分はこうしなかったんだ」「どうしたらよかったんだ」と自分で自分を傷つける。
その痛みを感じたくないから、なかった事にして、傷が癒されないまま蓋をしていたから(だからまた反芻しちゃうので)、いつまでたっても完治しなかった。私はたぶんこの旅の中で、その痛みにきちんと向き合い、その感情を感じきったのだと思う。父に傷つけられた小さな自分。痛かったね。その時に戻って感じた。ずっとその痛みの中に居ると、光がさしてきて、気づくと開けた場所に自分がいて、痛みはどこかに消えていた。不思議な事に、その時過去の出来事の意味が変わっている。頑固な痛みはぶり返すこともあるけど、そんなことを繰り返して未来を見る事ができるようになった気がする。 これはコーチングから学んだ事。
同じく今の私に大きな影響を与えているのが男性性・女性性のエネルギーについての学び。
自分の弱い所を磨いていける、感覚的だけど実践的な学びがあり、これを始めたのと同時くらいに、私のタイミングもやってきた感じで、怒涛の変化が起こっている。
いろんなことを引き寄せているし、今までの自分なら考えもしなかったことが下りてくる。
そしてそれを出す(表現する)ことに怖れや躊躇がない。
ウォータースライダーのようなワクワク感と爽快感があるし、自分の根っこが大きく広がった安定感もある。
他に、私の変化に影響を与えた重要な要素として仲間がいる。私にとって大きな存在。
利害関係や上下関係ではなく、願いでつながった人達だ。年齢も性別も経験も関係ない。
強制力も上下もない繋がりの中で、互いに大切にしあえる関係をつくりながらみんなで前進する人達は、ものすごく精神的なレベルが高いと感じている。
この仲間との関係性の中で、私の願いや夢は確固たるものになった。自分の使命はこれだ、と確信してブレない自分が生まれた。
いろんな人と出会う中で、
若いのに波動の高い人、年齢を重ねているのにこんがらがっちゃってる人、もはや超音波レベルで私のレベルじゃ全く捉えられない人・・・。いろいろ。
そういう人達と出会った事も間違いなくこの変化に力を与えてくれていると感じる。
そしてそんな学びとつながりの旅の中で出会えた仲間と一緒に何かを創っていく喜び、このめぐりあわせの奇跡がうれしい!
「この年になったら人間そうそう変われないわよ」が口癖の人がいた。
彼女に伝えたいな。
いくつになっても、人は本質的に変わる事ができるよ。
自分に言い訳するのやめたら、素晴らしい世界が待ってるよ。
そしてその世界は踏み出す覚悟を持ったあなたを待っているよ。
Comments