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  • 執筆者の写真Keiko

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更新日:2019年7月1日

2019年春

自分自身の願いを生きる、自分の人生のハンドルを自分で握る決意をしました。

「いきいきと働ける組織を作る」を目標に掲げて、2017年から始まったさまざまな学びと、そこで生まれたたくさんのつながりが今、一つに統合されてきている感じがあります。

そして、自分の足で進むと決めた瞬間から、不思議な出会いやめぐり合わせのようなものをたくさん体験しています。それに加えて、本当に暖かい応援とご厚意をたくさん、たくさんいただき、自分がどれほど幸せかを味わい続けています。

本当に皆さんありがとうございます! 

そんな、感謝のエネルギーで満ち溢れている今日この頃。

いまは興味の赴くままにアンテナを張り巡らしてそこに触れたものをとりあえず確認している状態。赤ちゃんがよくやる「なんでも口に入れちゃう」状態です。

いろいろと新しいものも試しつつ、でもやっぱりライフコーチングは私にとって今後の活動の軸にもなる大切なライフワーク。独り立ちするにあたり、プロとしての自覚を新たにし、コーチングという職業のすばらしさ、大切さを再認識中です。

CTIの上級コースも最後のグループコールを迎えようとしている今、修行価格を見直し、プロコーチとしてクライアントの大切な人生を取り扱わせていただく誇りと、そこから生み出される社会的な価値に見合った価格(資格取得までは少しお安くなってます)に改定します。これは私の、プロとして生きていく決意の表れでもあります。

コーチングの認知度も若年層を中心に上がってきているのかなと感じるこの頃、プロコーチの一人として、コーチング業界を代表しているのだという自覚をもって、一人でも多くの人にコーチングの素晴らしさを知ってもらいたいと願っています。

コーチングの良いところは、自分の感情の根っこにあるものを見ることができること、今の自分の状態に自覚的になれることです。どれほど自分をごまかして「それ」を見ないようにしていても、向き合いたくなくても。

誰かに言われたのではない、自分が感じたこと、選んだこととして、気づきは「自分軸」になりクライアントの中に残ります。

そして、それが自分の人生のハンドルを握ることにつながっていきます。

こうして書いていても自分がどれだけコーチング好きなんだ!って思いが湧いてきますw

一方で、この「スカッとさわやか!」状態になるまではドロドロにとけて形もなくなり、まさにさなぎのようにふさぎ込んでいました。

この4か月ほど人生の劇的な変化を迎える中で自分の中に起きていた葛藤。

苦しいそのさなか、どこかから降りてきたメタファーを書いておきたいと思います。

きづけば自分は罠にかかっていて、罠を仕掛けたのはこれまで共に戦い歩んできた仲間(と私は信じていた)だったと知ったとき、深く傷ついている自分がいました。

その事実を受け止めつつ、自分の中に起きた葛藤が、罠によってついた自分の傷をさらに広げている事にも気づいたのです。

その葛藤の原因は自分のエゴでした。保身ともいうべき、自分を自分たらしめているいろんなラベルをはがされることが耐えられなかったのだと思います。それがなければ自分は何者でもなくなってしまうと感じている状態。感覚としては荒波にもまれて上も下もわからなくなっているかのような、カオスでした。

その時にジブリ映画の千と千尋に出てくる「カオナシ」が浮かんできて、こんな思考が生まれました。

カオナシって、人間のエゴの様子を的確に表してるなぁ・・。とw

どういう事?

つまり、こうです。

カオナシは橋のたもとで背景透けるほどの存在感薄めで立っていて、誰か気づいてくれた人に手のひらから金(Gold)を出して見せるのです。

この姿が、過去の自分に重なりました。何も持ってない自分、何者でもない自分(I'm nothing)が、誰かに受け入れてもらうため、信頼してもらうために「私、こんなことできるよ」と見せる姿。自分も『何も失うものがない』状態から、こうやって誰かの信頼を得ようとなんでもやってきたなー。相手にとっての金は何だろう?と顔色を窺う習性も、考えたらこの頃から作り上げてきたものです。

そしてカオナシは近寄ってきた人をパクっと飲み込んでしまいます。すると、飲み込んだ相手の真似をできるようになる。次々と金を見せては近寄る人たちを飲みこみ、カオナシはどんどん巨大化します。人々はお料理を運んでカオナシのご機嫌を取ります。カオナシも今や存在感ありすぎるほど大部屋の半分くらいの体積になって、態度も尊大になります。「もっとよこせ」とより多くを求め、そんなカオナシに人々は飲み込まれないように腰が引けながらも金に群がります。この状態はいろんなことを経験し、権力を得て自分を大きく見せることができるようになった人を彷彿とさせます。自分が出す金に群がる人達を眺めて、自分の力に酔いしれる姿に見えるのです。

やがてカオナシはどうしても金を受け取らない千を飲み込みたくて、「千が欲しいー」と追い掛け回します。 これって、もはやエゴそのもの。もとのカオナシはもう、どこにもいません。

自分が大きくなりすぎて、自分自身とエゴが同一化され、本来の自分を見失い、より多くを求めるようになる。

カオナシは、なりふり構わず千を追い回し、しかし千に薬を飲まされて、苦しみながらこれまで飲み込んだものをすべて吐き出します。飲み込んだ人たちも、食べたものも全部、もがき苦しみながら悪臭とともにぶちまけ、最後は元のI'm nothingな存在感薄いカオナシに戻る様子を見ていると、これってまさしくエゴを手放すプロセスだー!と思ってしまったのです。

エゴって汚くて、臭い。巨大になるほど、エゴは透けて見えます。どんなにきれいに着飾っていても、どんなに強そうにしていても。そこはかとなく、あるいははっきりとエゴは臭い、周囲に漏れているのです。時にエゴは自分が思っているのとは違う姿で周囲に見えている事もあります。それに気づいていてもいなくても、みんなエゴを手放したくない。I'm nothingには戻りたくないし、戻るのは怖いんです。

だけどすべてを吐き出したカオナシは、なんだか可愛らしささえ感じるほど、スッキリしちゃってるし、そんなカオナシに先入観なく素で接し、ありのままを受け入れている千のなんと大人なことか! 笑

コーチングのコーチは、この千の立ち位置だなぁと、あらためて、深いメッセージを受け取ったのでした。

私もI'm nothingに戻り、それを受け入れ、楽しみながら、新しいスタートに立っている感じです。これからも皆さんとつながり、新しい何かを生み出していけることを楽しみにしています。


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